前提心理

飲食店のフロアで働いたことがある人なら誰もが一度は経験したことがあると思う。
休日、自分がカフェやレストランに行く。そこで近くの別のお客が「すいません!」と店員を呼んだ時・・・思わず「はい、ただいま」と言ってしまいそうになったという経験のことだ。

条件反射的に、ついうっかり答えてしまう。癖と言ってしまえばそれまでだし、回数を重ねることのパターン形成だと言ってしまえばなんとなく説得力はあるが面白みに欠ける。

接客業の場合は、「こうなればこうする」という一定のルールのもとに条件反射を養う。
何も言葉に限ったことではなく、動作や表情、内容や落としどころもそうだろう。
そうやって培われたパターンが身になると、心理的にネガティブな働きをすることもある。
コールセンターに勤めていて毎日ストレスを感じているなら、自分の携帯の着信音が鳴ってもストレスを感じるはずだ。

起こる物事に対して、自分ならこうする、こう感じる、こう思う・・・という「前提」を誰もが持つ。
同じようなシチュエーションでも人によって中身が違う。

 

例えば飲食店に勤めることが天職なら、「すいません」と言われた瞬間に「嬉しい。やってやる」という気持ちと「くそ、先読みできなかった」という少々の悔しさの入り混じった感情を持つはずだ。
なら、いつもにも増して上手にしようと思うだろうし、態度や表情にそれが出る。
「次は声をかけられる前に気づくよう、もっと見方を変えよう」という向上意欲が伴った言動になる。

反対に、飲食店で働くことがストレス以外の何物でもなく、全く向いていないのだとしたら、「すいません」と声がかかった瞬間に「なんだよ、今こっちの仕事してるんだろうがよ」と思うだろうし、態度や言動に出るだろう。

「すいません」に対する返事が、同じ「はい」だったとしても、その口調、音程、強弱、そして態度や表情によって違う心理を持つということがある。
だが共通することもある。休日カフェで隣の客が「すいません」と言った時に反応してしまう、ということだ。

飲食店で働いている人は、その反応をしてしまうような訓練を受けている。
これは強度が強い反復練習と言ってもいい。反復することで一定のパターンが築かれる。
「すいません」と言われれば「はい、ただいま」と【考えたり感じるよりも早く】返事をするようなメカニズムが作られる。

このメカニズムは訓練がなくても作られる。
というよりも、会話のパターンというのは、毎日の習慣の中で緩やかに、自分で気がつかないうちに、定着して勝手に作られてしまう。
代表的なのが、大勢の人が決まりごとのように守っている言葉だ。
例えば英語の挨拶には「Hi, how are you?」というのがある。
人に会うと調子をまず尋ねる。答える方は「Good」とか「OK」と単純な発言をする。
この習慣は日本語にはないが、ここから何がわかるかといえば、英語を話す人の前提に、【会ったらまず一拍置いて相手と調子を合わせよう】という呼吸感覚があるのがわかる。

日本語にしかない言葉なら食事前の「いただきます」という挨拶がある。
もちろん誰も「食物豊穣と生命を頂けることに感謝して」などとは【思わない】。
意味は言語心理を読み解くうえで重要ではないことがよくある。
「いただきます」があると、食事という生命活動に欠かせない物事を行う前の段階で【必ず一拍のタイミングを持たなければならない】という心理を育む。

ということは、食欲は生命活動でありかつ「欲」なのだが、そういった動物としての原初的な感覚を【自制する】ことを求められる。
英語を話す人が人とコミュニケーションを取る時、本題に入る前に一拍置くのは関係をスムーズに進めるという前提があるのに対して、日本人の「いただきます」は自制の前提になる。
同じような現象(ここでは一拍間を取る)が起こっても、その背景にある意味が違う。
背景にある意味が違えば、性格が異なってくる。
ただの「こんにちは」よりも「How are you?」の方が初手での踏み込みが深い。
懐に入ることを前提としているか、いないかによってコミュニケーションや人間関係は変わるはずだ。

食事を取る時に自制できるというのはどうだろう。
どんな性格を養うことになるか?自制心があるということは我慢強いということだ。
耐性があるともいえる。
ネガティブに言うなら苦痛を甘んじて受けてしまう人を作るかもしれない。
逆に少々のことではへこたれず、大きなことを成し遂げる力を持つかもしれない。
そういう性質の人はどんなコミュニケーションを取るだろう。
いきなり懐に深く入ろうとするだろうか?おそらく自分の伝えたいことや聞きたいことに対して自制し、相手の出方や性質を伺ってから、希望を通すように働くだろうと予想がつく。