敬語の前提

挨拶文以外にも、多くの人が使う言葉がある。
例えば「敬語」がそうだ。
敬語を使う人はどんな心理を持っているのだろうか。
一般的に考えて敬語の用途は、目下の者が目上の者に対して使う言葉だ。
それも主に、年齢が低い者が年齢の高い者に対して使う。
その目先の目的は「失礼に当たらない」ためにある。もう少し分解して考えるなら、年齢が離れている者同士は話題がかみ合わない。
価値観も違う。
視点も生活に取り入れている具体的な手法も違う。
そういうギャップがある。
ギャップがありすぎる者同士は通常わかりあうことができない。
しかし「敬語」はそのギャップを埋めて、敬うという物事を使うことでお互いが共通認識できる物事を導こうとする。
つまりコミュニケーションツールの一種なのだ。

敬語の「意味」はそういうことだし、前提を考えるうえで知っておく必要があるが、意味を拾っても心理が分かるわけではない。

この「前提」から考えて、敬語を使うということは「距離がある」ということになる。
年齢にかかわらず敬語をよく使う人は、つまり「あなたとは距離が遠いです」「あなたとは距離を遠くしたいです」「あなたとは距離を近づける気はありません」と心理的に言っていることになる。
よく使うのでない場合も、嫌いな相手には敬語を維持した経験はないだろうか?

 

また場合によってはこんな心理を持つこともある。
敬語は元々は目上と目下のコミュニケーションを取る用途で使われている。
なら、自分は人よりも下だと自己卑下している人は謙譲語を使うことが多くなってもおかしくはない。
謙譲語だけを使い、他の敬語を使わないわけがないから、全般的に敬語を使うことになる。
ただ、分量が少し謙譲語に偏っているなら、それは自己卑下の心理を表す可能性が高い。

相手をバカにする意味で使われることもある。
昔何かで読んだのだが、こんなことが書かれていた。
親が子供の口のきき方が悪いことに対して叱った。
子供は子供なりに考えた。
そして父親に対していきなり敬語を使ったら「お前親をバカにしてるのか」とより叱られた。
あてつけと捉えられたのだろう。

「あーはいはい。目上と目下の上下関係ですよー。あなたエラーイ。あなたが上ね、上」というニュアンスを含む敬語の使い方はある。
露骨にそうとは表現せず、それと分からなく使われている場合も背景にはこの心理がある、という場合がある。

挨拶や敬語のように、文化的に、言語的に特殊で独特、しかし日常に根ざしている言葉にも前提になる心理がある。
その言葉の成り立ちや意味は、言語心理を考える上ではほとんど影響しない。
しかし、前提にはなる。
敬語なら上下関係という前提を、どのような理由をもたせて使うか?ということで心理を垣間見ることができる。

「今なぜ、ここで敬語を使ったんだろう」「こういう場面ではこの人はいつも敬語を使う」「使う敬語にもよく使うものの特徴がある」ということを探れば、前提と心理の関係が見えてくる。
挨拶は人との関係を作る言葉だが、よく挨拶をする人や好んでする人、元気にする人と、あまり挨拶をしない人がいる。
特に自分からは挨拶をすることはない人がいる。
これは礼儀の問題になると「失礼」ということになるかもしれないが、挨拶をよくする人と、あまりしない人の前提は【人間関係が密接か距離を置くか】にある。
ということは言語心理的に考えると、人と距離が近い人はよく挨拶をするし、人と距離を取りたい人はあまり挨拶をしない、ということになる。
だから、相手を観察して挨拶の様子を見るだけで、相手の人間関係とコミュニケーションの前提がわかる。