言語心理の前提

言語心理には、その言葉を使う上での前提がある・・・と書いた。
敬語には敬語の前提があり、その前提をどのように使うかで、いくつかの特徴があると書いた。
そう、「いくつか」ある。しかし分析し慣れていないから、にわかにはどれかわからないじゃないか!と思うかもしれない。
だから先に【言語心理の前提】を知っておこう。

言語から相手の心理を正確に読み取るのはまだ難しいかもしれない。
だがすでにわかっていて、簡単にできることもある。
言葉は生活習慣や環境、人間関係、たまに訓練によってパターンが作られる。
その状況に応じた言葉を使うはずだ。

飲食店で働く人が、休日のカフェで隣の人の呼びかけに応えそうになる。
普通に考えれば応える必要もないし、一般の人はそもそも応えるという発想がない。
自分には関係ない物事なのでスルーするはずだ。むしろ聞こえていなかったりする。
ということは、反応を示す人は隣の客の「すいません」という言語に反応・・・しなければならない何かの【制約】を抱えている。
普通は制約がないからスルーするか、そもそも聞こえない。
しかし制約がある人は「その言葉に反応を返さなければならない何か」を持っていることになる。

言語心理の最も基礎になる考え方は「制約」にある。
ある言葉、何かの単語を使うだけで、その単語を「使わなければならない」制約下に置かれているということがわかる。
「いや、それはわかった。だけどその制約が何か特定するのは難しいじゃないか」と考えるかもしれない。
だが待ってほしい。まだ順番というものがある。

制約があるということは、それが何かがまだわからない段階でも【それが何ではない】ということはわかる。
「.ではある」と断定できないが「.ではない」とかなり早い段階でわかるのだ。

最もわかりやすい単純なケースはこうだろう。
「いつも愚痴を言っている」「人を批判している」「文句が多い」という人は幸せだろうか?成功しているだろうか?人から好かれているだろうか?好いている人はいるかもしれないけども、心の底から愛している人はいるだろうか?・・・おそらく「NO」の答えで間違いはないだろう。

ではいつも口癖で「あー幸せ」「あー幸せ」「すごく幸せ」「今日も幸せ」「晴れて幸せ」と言っている人は幸せだろうか?この文字を読んだだけで違和感を感じないだろうか?そう「幸せ」を連発している人は「愚痴」「批判」「文句」を連発している人と同じく幸せではない。
なぜか?

その人は幸せを発言することによって「感じよう」としている。
感じなければ何かがまずいという前提がある。
私は今幸せなんですよ、感じてるんですよ、ああいい気持ちだ、ちゃんと証明できているんだ!という背景には「不幸せだ」という前提がある。
そもそも本当に幸せな人は、その状態や毎日の生活がすでにそうであるので、感じることすらなく【ただの当たり前】になっている。

これは前提を考える上でとても大切でおもしろいことなのだが、【人は当たり前のことを認識できない】。

私たちは感謝がとても大事であることを知っている。
アフリカの貧しい国の人が、何キロも歩いて飲料用の泥水をバケツで汲みに行っていたところに、先進国の寄付で村に井戸が掘られ、綺麗な真水が湧き出たら、その人たちは大きな感謝をするだろう。
しかし、われわれはどうか?蛇口をひねって水が出ることに感謝する人はいるだろうか?いるとして、アフリカのその人たちのように大きく感謝するだろうか?

私たちの心理には「潤沢なものには感謝しない」というメカニズムがある。
これは感謝だけの話ではない。感謝しないというのは【意識しない】ということだ。
当たり前のことに意識を向けるのは結構難しいことだ。
だから幸せが当たり前の人は、幸せに意識を向けない。
ただの「普通」としてそこにある。だから「幸せだ!」という発言をしない。
なら、どんな発言ならするのかというと「新しい車がほしい」「今度友達と海外旅行行ってもいい?」「来月お父さん誕生日だね」というような発言になる。
幸せが当たり前の土台にあるので、何も心配せず安心して『次の何を自分が求めるか?』というような発言になる。

ここでは「潤沢なものは意識されない」という前提を覚えておいてほしい。
意識に上る物事には言葉が使われる。
言葉を聞くということは、その人が意識していること・・・そして往々にして【不足していること】を聞くことに他ならない。
だからこそ言語心理分析の出発点は制約や不足を探すことにある。
「.ではない」という状態がわかれば好スタートを切ることができたのだ。