「行く」と「来る」

SNSでこんな投稿を見た。
「○○さんが講演されるのはとてもレアです。この機会にぜひ行ってください」。
瞬間こう思った。

「え、君は行かないの?」。 いや、その人も行くのかもしれない。
どちらかは投稿からはわからなかった。
行くにしても行かないにしても、別にどちらでもいいしどちらでも通用する表現をしている。
しかし「え、行かないの?」と思ったのはなぜか?

このシチュエーションなら考えられる表現は主に3つある。
最初のはもちろん「ぜひ行ってください」だ。
だがこれだと読み手はその人(書き手)が行くのかどうかがわからない。
最悪この人は行かないけど、お義理でこんな投稿をしたんだなと斜めに見ることもできる。
そこをもう少し読み取るなら、次に考えられる表現は「一緒に行きましょう」になる。
そして最後に想定できる文章は「行く」ではなく「来ませんか?」だ。
これは行くが能動、来るが受動という簡単な意味の物事ではない。

「行きませんか?」は主語が相手にある。
もう少し心理的に言うなら『責任』が相手にある。
に対して「一緒に行きましょう」は相手にも責任があるかもしれないが、『自己責任』があることが読み取れる。
少なくとも、「行ってください」よりも「行きましょう」の方が責任を負っている。
言語心理を分析する上では、その言葉が「相手に責任を負わせるか」「自分で責任を負うか」どちらを示しているのかを見るようにする。

そう、「玉手箱を開けてはいけません」のときと同じことが起こっている。
「開けてはいけません」は相手に責任を投げている。
もし渡す側に責任があるなら「絶対に開けないでお願い」というような言い回しになる。

つまり、「相手に責任を負わせる言い回し」になるときは、自分では責任を負わない心理が表れる。実際に責任は取れないが情報は共有しようと思っているかもしれないし、いつも相手任せの習慣がここでも出たかもしれない。
罠にハメてやろうという可能性もなくはないし、もしかしたら「自分のことは自分で決めることだ」というポリシーの持ち主かもしれない。

「自分で責任を負う言い回し」の場合は、責任感が強い人かもしれない。
他人の責任を自分がかぶっていつも難儀な思いをする習慣がある人かもしれない。
自分が責任を取ると言えば人を罠にハメることができると知っているのかもしれない。

相手の責任は受動的で、自分の責任は能動的な言い回しになるが、どちらの言い回しの方が善悪かということを判断することはできない。
「なぜその言い回しをするのか」の最初の状態がわかるだけだ。
より知っていくにはさらに質問を重ねる必要がある。

 

まだ第三の言い回しがある。
「来ませんか?」という言葉を使った場合は、自分も主催者側の立場にいることが読み取れる。
実際に主催者か、ただお金を払って参加するだけかは、最初の時点ではあまり重要ではない。
最初見るべきは、『言葉と立場が受動』で『責任が能動』であることだ。
これは営業職が何かを販売するときによく使われる。
あるいは、「責任は俺が取る。好きなように思いっきりやってみろ」というようなときに使われる。

この条件があるときは、それを発言した側に何かの狙いや目的があることが多い。
また誘った方が上、誘われた方が下、という上下関係の雰囲気を含むこともある。
しかし同時に安心感も増す。状況を把握している立場なので大丈夫だと示している。
「行って」「行こう」だと行った先がどうなっているかまだイメージすることはできていない。
しかし「来て」ならその場がどのような場であるか掌握していることが読み取れる。
ということは「来ませんか?」という誘い文句を使う人は、その場に対して状況を把握し、左右する権限があることを示している。
準備をし前提を整えることに視点がある人だ、と判断することができる。

また、「来ませんか?」は相手に選択権を投げる言葉だ。
安心できる状態を作りながら、それを採用するかどうかはあなたが決めていいですよという接し方をしている。
このやり方を採るのは、自信がある人、人の距離が近くなくても平気な人、困っていない人、自分も強制が好きではない人などに多く見られる。

 

簡単にまとめると、「行ってください」は相手に責任を投げる受動。
あとは知らないというニュアンスがあり、そう言ったり、しなければならない何かの理由が背景にある。

「一緒に行きましょう」は自分で責任を持つ能動。
責任の範囲をその人がどう捉えているかにもよるが、自分で責任を持たなければならない何かの理由が背景にある。
「来てください」は自分で責任を持つ能動と、結果を受け入れる受動の組み合わせ。
準備や状況把握しており、切迫感がないかないように見せる背景がある。

相手の心理の背景に何があるのか?ということを探るには、もう少し質問か会話を重ねる必要がある。
「行く」「来る」の話題でなくてもいい。

 

他のいろいろなことを話していると、その人がある場面では「行きましょう」と言い、別の場面では「来てください」ということがわかる。
常識的な人なら、自分が把握できない場所なら「行きましょう」を、自宅など自分の場なら「来てください」を使うはずだ。
もし平均的な使い方をしているなら、「もともと言語心理を読む必要があった言葉」もただ単純に使われている可能性が高い。

 

だがもし、「責任」が関係した場面で普段とは違う言い回しが使われたら、それは【何か注目するポイントがあるぞ】ということがわかる。
もうひとつ責任とは関係ない場面もある。
『相手をコントロールする必要がある』というとき、いつもは能動を使うところで受動を、受動を使うところで能動の言葉を使うことがある。
例えば営業して相手から契約を取らなければいけないときなどに見られる。