気づきがあったとき、やるべきことがあるとき

この状況で、この言葉を使うなら、心理背景は「こうだ」とかなり断言できることがある。
シチュエーション分析を見ていこう。

 

長く生きていると、普段は滅多に会うことができないような素晴らしい人に出会うことがある。
そのとき、素晴らしい気づきを得たり、これまでの常識観が180度変わってしまうようなこともある。
その大切な内容に気がついた後、あなたなら何と言うだろうか?

「これまでのモヤモヤや疑問の謎が解けました。そうだったのかとショックを受けながらも爽やかな気持ちです。本当にありがとうございます」
「頭の中が真っ白で何も考えられません。でも心がざわついたり、落ち着いたり、不安定で泣きそうです」
「すごい気づきをありがとうございます。こんな人に出会ったことがない。話は筋が通っていて、わかりやすく、強制もせず、本当に素晴らしい人です」
「どんなに感謝してもしきれません。してもらう一方ですので私にできることがあったら何でも言ってください」

この中のどれかに近い発言をすることはあるだろうか?もしあるなら、それは不正解だということを伝えておこう。

 

そもそも性格があり個性があるのに、不正解ということがあるのか。
書いている内容は別にネガティブなことでも失礼なことでもない。
何をもって不正解というのだろう?

『気づき』のシチュエーションで人がやることは決まっている。
それが大きいか小さいかは関係がない。
例えば「ボタンひとつずつ掛け違えているよ」と教えてもらってやることは、ボタンを一度全て外し、もう一度正しい位置で付け直すことだ。誰でもわかる。

ボタンをそのままにして、

「今日の服の違和感がわかりました。なんだか気持ちがすっきりした」
「なぜそんなことになったのかうまく考えられないけど、心のわだかまりは解けました」
「そうだったのか!という気づきです。そんな風に相手を気遣って教える人に出会ったことがない。本当にいい人ですね」
「ありがとうございます。本当に感謝です。私があなたにできることはありますか?」

重ねて言うが、ボタンは掛け違えているままだ。
これらの発言に違和感を感じないだろうか?

「気づいた」ということは、気がつくべきことに気がついていなかった、ということだ。
気がつくべきということは、何かがどうにか間違っていたということだ。
間違いは改善するために「気づき」を得たはずだ。
なら「気がつく」ということと、「やるべき」ということはワンセットになる。
この場合は「改善」「修正」がやるべきことだ。

仕事や子育てでもやるべきことはある。
この場合は「気づき」がきっかけになるのではない。
直接「やるべき」ことが目の前に来る「やるべきこと」があるときに「やらない」のなら、そんな人を誰も「やる気がある」「成果を出せる」「信用できる」とは思わない。

つまり、上に書いた4つの発言をする人は全て、「やる気がある」ように見えてやらない、「成果を出せる」ように見えて出せない、「信用できる」ように見えてできない、という心理背景があると分析できる。

なぜなら、これらの発言をする人は何をやっているのかというと、何か別の『関係がありそうで関係がないこと』に話をすり替えているからだ。

 

こういった【話のすり替え】の代表的なものは『聞かれたことに答えない』ときによく見られる。
「昨日ランチ何を食べた?」と聞いているのに、ランチ前にしたことや、ランチのデザートがいかに美味しかったかを話し出すとしたら、それは元の話を避け、別の話にすり替えている。
話をすり替え「なければならない」心理は何かというと、元の話がとても都合が悪く、封殺し、消滅させなくてはならないからだ。

だから「気づき」を得た後の、とても説得力がある「関係ありそうでない話」をする人は、「ないことにする」「向き合わない」という心理があり、その後の行動は起こさないという特徴がある。

では何と言えば正解なのだろう?まずボタンの掛け違いを考えてみてほしい。
何かを言うだろうか?驚きを表す擬声語は言うかもしれないが、早々とボタンを直しはじめるに違いない。「気づき」の度合いが大きい場合に、最初パニックになったり、放心状態になったり、だからこそ余計なことを言うことはあるかもしれない。
だが、落ち着いたら次にやることは行動の修正や改善で、行動と関係がありそうで関係がないことは言わない。

「気づき」があまりにも大きいと、何から手をつけていいかわからない。
だから少しなり自分で考えてから「これはどうしたらいい?」「これはこうやろうと思ってるけど合ってますか?」というような、【具体的な行動を促す言葉】になる。自分なら行動可能な現実的な言葉を使っていれば、その人は信用できる。
行動可能に見えるが現実的ではないことを聞いたり話したりするなら、その人は結局「行動するフリ」を使ってその物事から逃げる準備を整えている。

あまり発言をせず「はい。わかりました」「あとはやるだけなのでやります」と【全肯定】を逃げる手段で使う人もいる。
全肯定すればこれまで難を逃れてきた経験がある人がこれをよく使う。つまりは、嘘をつき騙しているということだ。相手も、そして自分も。
「過去どう考えて取り組んできたか」「これまでの不整合がどう解けたか」「あなたに気づかされた話がいかに正しいか」という話をして肯定する人も同じ効果を狙っている。

その場の言語だけでは、混乱しているだけで本当は必要な行動を考えているのか、それとも、単純に逃げているのかわからないことがある。
口数が少ないとか、理解のワードを発したときにそういうことが起こる。
後日、結果を見れば実際のところは明らかだ。
一番多く使われる言葉は「やる気はある」という言葉で、この言葉が出た時点で「やらない」と告白していることになる。やる人は「.をやる」という言葉を使うからだ。

もうひとつ特徴的な分析確定できる言葉がある「以前よりは良くなった」。
「前とは比べ物にならないぐらい..」「昔とは全然違う」「これまでのことが嘘のようだ」という言葉は、『自分は行動をしたし、それを証明する材料がある』と心理的に主張している。だが心理背景は『常に以前のことが気になってしょうがない』と言っている。
本当に行動し、やるべきことをやっている人は変化している今にフォーカスし、昔のことを話さない。
昔のことを思い出せない人すらいる。例えばボタンの掛け違いを直したら、その日行うはずだった別の物事の話をしているはずだ。「かけ間違いよりも良くなった」とは言わない。

以前比較で実証する人のほとんどで、「現実的にマイナスの程度が軽くなっただけ」で、本来生まれるべきものは何も生まれていない。
心理背景に至っては『ほぼ100%新しい現実を受け入れない』。
たとえ行動によって現実を変化させていても『いつでも前の状態に戻れる態勢』を整えている。
視点が過去にある。「これまで努力してきた自分を肯定したい。否定するとまずい」というモードを維持している。