仲がいい人との会話

気を許せる相手と一緒にいてリラックスしているとき、交わされる言葉にも傾向や特徴がある。
誰もが同じというわけではない。
本心を出せるし、その内容をよく聞けば普段の生活や考え方、人間関係のあり方も見えてくる。

 

私が以前伊丹空港(大阪空港)で飛行機を待っているとき、後ろの方で家族のお父さんの声が聞こえてきた。
お父さんとお母さん、子供が2人いるという家族構成なんだなと思った。
正確にはなんと言っていたのか思い出せないのだが、お父さんが家族に他愛のない会話を投げかけた。
誰もがしているような会話で「帰ったらテレビ見よう」ぐらいの軽い内容だった。
気心知れた家族の会話でも、かなり多くのことを読み取ることができる。
そのときの詳しい会話内容は思い出せないが、仮に「帰ったらテレビ見よう」と言っていたなら、子供がぐずってあやしているわけではないので、お父さんが家族のことを思っていることがまずわかる。
みんなでどう過ごすのか?を大事にしている。空港なので、非日常の場面であることはまちがいなく、家という落ち着いた場面の話をするのは、自分が落ち着きたいからか、子供の顔を見て微細な変化に気がついたのかという理由があるだろう。
たとえ自分の不安を払拭するためだとしても、その安心の場所が家庭にあることがわかる。
ということは、おそらく浮気はしていないだろうし、自分が集中できる何か別のことに気をとられているわけではないこともわかる。

ただ、そのときはその言葉の裏に、家族に対するジレンマや本当の希望を言えないというような背景を感じたのだけども、とにもかくにも、言いたいことは「リラックス会話からも驚くべきほど多くのことがわかる」ということだ。

 

私たちは誰しも、リラックスして話ができる相手を複数持つ。
そして、その全員に同じ話をするわけではない。使い分ける。
趣味の相手とは趣味で盛り上がるだろうし、家族とは日常の他愛ない会話をするかもしれない。
仕事仲間なら次打つ手を話すかもしれない。
相手によって話が変わるということは、「特定の誰かとの話だけでその人の心理背景を全て知ることは難しい」ということだが、それでもその人が価値を置いている何か、に対しては心理分析することができる。

男同士集まると、仕事の話や自慢話、自分はいかにすごいのか?というような勘違い話をすることが多い。
女同士が集まると、共感話、悪口、自分たちの正当化話をすることが多い。
家族なら「どうでも話」が多くなる。
それらの内容はどの男同士、女同士、家族でもあまり変わらないことが多く、示し合わせたように「どうでもいい」内容であることが多い。

子供がいる家庭ではおそらくどの家庭でも、子供がその日にあった学校での事件の話を勢い良くするだろう。
だが、大人にとってそれは事件ではなく「そういうこともあるよね」程度の物事でしかない。

そういう特徴を踏まえて、「気を許している」状態で何をどのように話すのか注目すると、リラックス状態の心理が分かる。ポジティブかネガティブかはあまり関係がない。

 

私の父親は昔私が小さいころ、よく自慢をしていた。物事はこうなんだと言ったり、自分は優れているというようなことを言っていた。
いつもそれに違和感を覚えていたし、大きくなるにつれて「あのとき言っていたあれはまちがっている」とわかってくることがよくあった。

自分よりも年齢が低く、経験が浅い者に対して、自分の優れているところをアピールしたい心理はなんだろう?自分に自信がない。
会社で抑圧されている。これまで日陰のルートを歩いてきた。親に認められてこなかった。
強者に媚び、弱者にへつらう。というような背景が見えてくる。
その可能性の中から本人の性格に合わせてさらに限定する。

父親の場合は自分に自信がなく、あまり認めてもらっていなかったのだろうが、優しい人間性もあってその世界ではうまく泳げなかったのではないかと思う。
悪く言えば優柔不断だった。

リラックスしたときのその人の発言から、その人の本心が分かるということはよくある。