脳内変換分析

脳内変換するということは「脳内変換しなければならない」理由がある。
すでに見てきたように、理解と逃避から脳内変換をする。
ならなぜ「そう理解してなければならないのか」「なぜ逃避、消去しなければならないのか」の前提に、その人の理由になる心理背景がある。

 

ポジティブに考えるなら、理解の脳内変換は、相手を慮ったり、人と人とがスムーズに運ぶことに価値を置いているかもしれない。
気遣いに長けており、相手の気持ちを汲み取れすぎるために、相手が緊張を解けるような理解の言葉に変換するかもしれない。
あるいは、難しい専門職に就いているため、それがわからない一般の人に易しい言葉に変換して伝える「必要」があるかもしれない。
子供の言語になっていない言語を、代わってうまくキャッチするために変換しているかもしれない。

ネガティブに考えるなら、理解を外すと自分が嫌な思いをすることを避けているかもしれない。
相手に迷惑をかけることで自分が「迷惑をかける人」になることを避けているかもしれない。
理解が通らないことでバカに見られたくないだけかもしれないし、理解を別角度からすることで頭がいいと見られたいからかもしれない。
わからないまま物事をすませると、感情にしこりが残るのが気持ち悪いので消化するために変換していることもある。
単純に意味なく癖でやっている人もいる。

 

逃避の脳内変換をポジティブに捉えるなら、自分を理解しない頭の固い人やルールから自分を守り、その中でも進むべき道を見つけるための防衛機制だと見ることもできる。
実際の方法論として活躍する場合もある。プレッシャーやストレス、困難に負けず打ち勝つために、『部分ピック』は優れた妥協点を見出すだろうし、『意味の変換』は競争相手に打ち勝ち、物事を有利に運ぶかもしれない。
『固定化』は強い意志を持ってコロコロと変わる風潮に打ち勝てるかもしれない。
そういう使い方に慣れているので、つい過剰にそうでない場合もやってしまうだけかもしれない。
そして慣れているので実はあまり不都合がないからそれでいいと思っている場合もある。

ネガティブに見るなら、不都合に目をつぶり、人の意向に必ず反発し、頑迷で間違っていても意見を曲げないという態度が見える。
その心理背景には、間違うことへの驚異的な恐れがあり、だから自分は正しい、間違うなんてありえないと示さなければならなくなる。
そのために脳内変換を使うことは実に都合がいい。
「私はそんな風には聞いていない」「あなたはこう言った」と責任転嫁ができる上に、「私がもっと良い考えを生み出した」とも言えるからだ。
(この発言自体が脳内変換になっている。私が生み出したのではなく、人の意見を変更しただけ)
人が何をどのように脳内変換するのか?ということをよく聞けば、その人の心理背景に何があるか分析できる。
間違いを正すことが目的ではない。
なぜこれを聞いてその単語や表現になるのか、ということを突き詰めれば背景にあるものが特定できる。

 

そしてごく稀に、ほとんど脳内変換しない人がいる。
その人は「この脳内変換が当たり前のこの世界においてなぜ脳内変換しないのか?」という理由を探ると心理背景を分析できる。
自分がないだけかもしれないし、言うことをそのまま聞くことが全責任転嫁の雛形かもしれない。
単純にバカなのかもしれないし、完全に考えることを放棄しているのかもしれない。

または真逆で、脳内変換しないことの効能を知っているかもしれないし、自分にどのような変換の癖があり、それをすると何がまずいか知っているので訓練してできるようにしたかもしれない。
あるいは未知の分野や初めてのことは、結局言うことを一言一句違わず採用した方が早く上手くいくことを知っているからかもしれない。
全てそのまま受け入れて検証し、本当かどうかを判断するまで時間をかける慎重な人なのかもしれない。
そういうことをひとつひとつ見分けていくのだ。