無言、沈黙

無言は言語なき言語だ。
多くのことを語っていて心理分析することができる。
思いもしないような驚きや、どうしていいかわからなくなり頭が真っ白になったとき、言葉が出てこなくなる。
また、絶対に間違えてはいけない場面で、言わなければならないのに言えなくなることがある。
こういう無言は全て「失敗」と密接に関わりがある。
目に見える失敗と罰かもしれないし、何もさっぱりわからないという必然的な失敗かもしれない。

 

無言の状態にあるとき、人の心理は必ず内面を向いている。
どうしていいかわからない自分、真っ白な自分どうにかしなければならない自分を向く。
同時に他人からは、無視された、逃げている、自己中でこちらを見ないなど、決して好意的に見られることはない。
失敗に関わる無言は、たとえ不正解を答えなくてももう失敗しているように見える。
多くの場合そう見えるだけではなく、失敗の烙印を押される。

だからよく無言になる人は、失敗し見捨てられることに慣れている人で、そうならないためにどうすればいいかということを「その後も」組み立てない人であることが多い。
だから同じような無言の失敗を繰り返す。
反省せず、思考せず、その後も「どうしていいかわからない」「真っ白」に支配され続けるという傾向が強い。
心理分析の結果としては救いようのない答えが出る。

言うべきときに言わないのは無言の悪弊だが、黙っているべきときに黙っている沈黙は賢者の知恵だと言える。
相手が考えをまとめ、言いたいことを言い切るときに時間がかかっても待てる人は「心に余裕がある」か「自分の言いたいことよりも相手の話すことを優先して聞ける」人である可能性は十分高い。
「待つことの重要性」を感覚的か、論理的かで知っているということになる。

 

沈黙は上下関係の場合上から下に向かって使うときは「プレッシャー」を与えることがある。
直截的にプレッシャーをかけたいなら、怒鳴るなり怒るなりすればいいので、沈黙のプレッシャーを使う人は「陰険」「持久力がある」「感情よりも効果を優先させる」という特徴があることが多い。
対等な関係の場合、特に初対面で「沈黙の時間」が長くなると気まずくなる。
これは背景に「親密度の薄さ」「相性の悪さ」「性質のミスマッチ」「緊張状態」などが考えられる反面、沈黙を特に気にしない性質の人がいることも忘れてはならない。

 

最後に「間」がある。
間の悪い人は、こちらが何かを話そうとしたときに話し始め、聞いているときに何も言わなかったりする。
無言の時間、沈黙が間の悪さのタイミングで生まれることがあり、そこで何かを話そうとすると、相手がかぶせて話してくるというようなこともある。

「間が悪い」のは空気が読めないのと同じ意味を持つ。
相手の切り出しやタイミングがわからない、お互いのテンポとリズムをつかむことができないという特徴がある。
むしろ、相手によって変わるリズムを「いつも外すことができる」というような人もいる。
そうなると、「人と人との関係をうまく作らない」前提と「人と関係をうまく作れない」心理があるのがわかる。