感情と思考の矛盾

「しなければならない」を使う多くの場合で、心は「したくない」、頭は「やる」と言っている。
内面での言葉の矛盾が生まれる。感情の言葉と思考の言葉が乖離するとストレスを感じる。
乖離の溝が広ければ広いほど、ストレスは大きくなる。
また、いずれ感情の言葉が勝つようにもできているし、もし最後まで思考の言葉を勝たせようと思ったら病気になって強制的に止まることが多い。

いつも感情の言葉が勝ち、思考の言葉が負ける人の心理は自己中心的で偏狭。
周りが見えず、気分に左右される。楽しい時はいい顔をするが、苦しい時は責任転嫁をする。

 

いつも思考の言葉が勝ち、感情の言葉が負ける人は義務感に強い。
忍耐力もある。ルールを遵守して本質や根本に反することがよくある。人よりも理論を重視し、理論のために現実を曲げることもある。

感情の言葉と、思考の言葉が矛盾しているのに、妥協して間を探る人は、自分がなく八方美人なことが多い。
事なかれ主義だったり、リスクが発生しないことに注目する。痛みや病気をすぐに避ける。
「我慢」という能力に優れる。
あるいは逆に、両方を一致させることができる自分に自信を持っていることがあり、それを人にもやらせようとする。
「一致させる」ということは、「そもそも一致していない」ということなので自己矛盾が生まれる。

 

感情の言葉が勝つべき時に思考の言葉が勝ち、思考の言葉が勝つべき時に感情の言葉が勝つ人がいる。
主に、外では前者、家では後者を採用し、どちらの場面でも好ましくない選択をする。
こういう人は、物事がうまくいかないので閉塞感を感じている。
人のせいにしたり、正当化がうまい。
感じることも考えることもうまくいかない感覚があるので、何か突出した結果を出して全てを帳消しにしようとする。
心は澄み渡って綺麗とは言えず、澱んで汚い。

 

矛盾がない状態というのは、最初から感情の言葉と思考の言葉が一致していることにある。
誰にでもあるので、その物事を中心に自分を進めている人は矛盾が少ない。
社会では2つは一致しないことが多いから、なんとか整合性を取ろうとする。
その方法が「我慢」「義務」「技術」になる人ほど矛盾が強くなる。
だから「場面に応じて自分に必要な方」を選ぶことができる人は矛盾にヤられない。
その場面もあらかじめ選ぶ。場面というのは仕事、人間関係、配偶者、活動のことを指す。

 

自分を高めている人は、「今は感情の声ではなく思考の声を採用して頑張る時だ」「今は思考の声の習慣を打ち破って、辛い思いをしても感情の声を通すべきだ」という選択をする。
これは外から見ると矛盾しているように見えるが、実際に言葉を拾っていくと筋が通っていることがある。
感情の声も、思考の声も高めることができる。
それを行っている人は、そのとき矛盾しているように見えても言葉に何かの確信がある。