音感心理

ここではだから「たかこ」は男性的な心理、「すみれ」は女性的な心理と言っているのではない。

実際にそんなこともない。ただ、「たかこ」という名前は昔からそう呼ばれ、周囲の人はそれを聞き、その音から連想できるイメージを持って接触、関係してきたという「事実」があるということだ。
その事実は「すみれ」という音感を周囲も聞いてイメージして関わってきた「事実」とは異なる。
だから、本人の個性や資質がどのようなものであるかとは全く関係なく、『周囲の自分を判断する「目」が最初からどのようなものだったか』ということが影響を与える心理を探る。

 

もし「たかこ」の個性がパステルやフリフリ好きの女子だったとするなら、でもなぜかどこかでそんな自分ではいけないのではないか?という疑問を持っている可能性がある。
もちろんその疑問に根拠はない。
誰に禁止された経験もないし、むしろ「いいね」と言ってくれる。しかし何だか違和感がある。
もしかするとそういうことが起こるかもしれない。
もし起こっているなら、「たかこ」の心理には「この世界と自分が一致する感覚を持てない」「自分が今のままではいけない気がする」「みんなの期待に応えなければならないのかもしれない」「生きてきて今までしっくりきたことがない」という心理背景を抱えている場合がある。

逆に「すみれ」がもし、パステルとフリフリに合った資質を持っているなら、それは音感と資質が一致しているので、周囲も自分を認めてくれ評価してくれ、私らしくいられているという感触を持っているかもしれない。
しかし同時に、自分を過信し「どのような場合も」人は私を認めてくれるし、好きにしていいのだという鼻持ちならない性格になっているかもしれない。
どこかの時点で事件が起こって自分の性格が曲がったのではなく、最初から資質的に曲がっていたのではなく、うまく通用してきたために「まっすぐ性格が曲がった」のかもしれない。

他にも促音は詰まる感じがするとか(しゃっくり)、伸ばす音は冗長に感じる(ねんねーんころーりーよー)とか、濁点の言葉は緊張を喚起するというような特徴がある。
それが特に名前、会社名や商号、書籍やブログのタイトルなどに現れると人は勝手に音のイメージをはじめる。
だからもちろん、人からどう思われるかを考える必要がある場合はこういうことも考えたほうがいい。

 

だが言語心理を考える時は、「だから周囲がどういう状態にあるので、その人はどんな心理を持つか」と考える。
口癖もその言葉の意味だけではなく、音感が周囲に影響を与え、それによって人が自分を見る目が決まってしまい、図らずも持ってしまう心理がある。
例えば話の途中に「ん」と挟んで話す人がいる。
「ん」は間(ま)に関係する言葉だ。質問をされて「んー」と言えば、考えているのだな、今こちらが話すときではないなという間だとわかる。
「ん?」と使うとリピートを望んでいる「短い反応(間)」だとわかる。
何かお願い事をして軽く「ん」と言われたら同意の意味を表す。
やはり短い反応を持つ。
だがもし、必要ないところで「ん」とか、今誰も話していないのになぜか「ん」という言葉を発したら、私たちは違和感を感じる。
他の言葉・・・例えば「あ」「ね」「る」・・・なら、なにか意味があって発言したのか、頭の中で文章がありその音だけ口に出たのか、と思う。
しかし「ん」の場合はそう思わない。

ということはよく分からない間の句切れが突然そこに出現する。
周囲の人は戸惑う。口には出さないが「え?」という意味のある一語が頭をよぎる。
そうすると言われた側の心理に、場の居心地の悪さが現れる。
「ん」と言っている本人は無意識で言っていて気がつかないかもしれないが、自分に関わるほとんどの人が「場を居心地悪く感じている」雰囲気を持つなら、「ん」発言をする当人もそれに従って違和感を感じるに違いない。
「みんないつもパッとしない顔をしている」「世の中は疑問だらけかもしれない」「居心地が悪いのが普通だ」「みんな顔が沈んで大変だなあ」というような心持ちになるはずだ。

音感は言葉よりもより深い深層の部分で心理に影響する。
物事や自分の前提に関係すると言ってもいい。
気分の上下による音の高低は心理分析上とてもわかりやすい。
気分が乗っているか大きな衝撃があれば声は大きくなる。
高い音と低い音のどちらを好むか?でわかることもある。
高い方が理想と可能性を、低い方が現実と安定を好む。
だが自分がその逆の声をしている場合、骨を伝って毎日自分の声が逆の性質を伝える。
矛盾して反発することもあるし、自分の声が低く高い声を求めるなら、土台をしっかり持ちながら理想を実現しようとするかもしれない。
自分の声が高く低い声が好きなら、安定している人に違う喜びを与えることができるかもしれない。

 

音感も追求すればまだまだ色々と心理背景があるがこのぐらいにしておこう。